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特集 東日本GN&CH
1964年〜1994年

 



1984年までの東日本CH(関東地方部主催)の歩み

回数
年 月日
放鳩
参加羽数
参加鳩舎
優勝分速(m)
総合優勝
第1回 1964 5月12日 6:40 758   974 新井孝鳩舎(日鳩・南部)
第2回 1965 5月14日   622   745 神崎正勝鳩舎(下総)
第3回 1966 5月16日 6:30 733   884 梅田恒雄鳩舎(武蔵野)
第4回 1967 5月13日 6:40 1,177   970 相川定久鳩舎(東葛)
第5回 1968 5月10日 5:45 2,319   1,038 大久保正男鳩舎(足立)
第6回 1969 5月13日 7:00 4,156   951 石井保夫鳩舎(東京第1)
第7回 1970 5月14日 7:45 4,642 1,856 934 長谷川伸六鳩舎(京北)
第8回 1971 5月10日 6:20 5,026 1,840 796 柴崎昇一鳩舎(北辰)
第9回 1972 5月10日 6:00 7,294 2,234 1,048 大柴正敏鳩舎(北葛)
第10回 1973 5月11日 7:00 11,450 2,783 1,140 藤塚俊男鳩舎(常南)
第11回 1974 5月11日 6:20 11,580 2,934 1,097 柏原慶策鳩舎(東京西部)
第12回 1975 5月11日 5:20 13,024 2,661 1,244 小沢幸夫鳩舎(江戸川)
第13回 1976 5月10日 6:00 15,878 3,128 1,093 柴崎昇一鳩舎(北辰)
第14回 1977 5月10日 5:00 16,399 3,088 963 松本幸夫鳩舎(北辰)
第15回 1978 5月12日 8:00 18,605   1,364 荒井孝鳩舎(神奈中央)
第16回 1979 5月12日 5:20 18,844   1,240 鈴木金男鳩舎(上総)
第17回 1980 5月11日 7:30 18,920 3,049 1,296 萩原竹男鳩舎(房総)
第18回 1981 5月10日 8:50 20,036 3,013 1,068 三平富男鳩舎(木更津)
第19回 1982 5月10日 5:30 19,257   1,143 佐瀬丈男鳩舎(北関東)
第20回 1983 5月 9日 9:40 22,014 3,233 1,548 大木賢次鳩舎(上総)
第21回 1984 5月15日 5:10 15,042 2,174 797 小川安都志鳩舎(東金C)

 

東日本GN&CH小史 1965〜1984

 北海道・羽幌から関東・静岡へ飛ぶ1,000キロレース、東日本チャンピオンは、東京オリンピックの開催された1964年に第1 回のレースが行われている。当初は鳩協・東京地方部と日鳩・関東グランド連合の共催で行われた(現在は関東地方部主催)。参加した758羽に対し、記録数は66羽。全体の8.7%ほどだが、翌日帰還が44羽、3日目に17羽。その内訳は、鳩協・日鳩が各33羽だった。
 第1回開催のころには、持寄った鳩を航空・鉄道輸送し、羽幌駅からはリヤカーで運んでいたという。70年には汐見に保管庫を建設。76年からはトラック輸送となった。
 翌65年からは鳩協単独のレースとなり、現在にいたっている。参加数は伸び続け、第4回の67年には1,000羽を超え、その翌年、68年には、3割近い記録数となった。
 初の当日帰還は、第12回の75年。このときは1度に14羽が記録しているが、このようにレース自体が順調な場合でも、気象条件などには、最大限配慮し、放鳩の順延もごく普通のことだ。
 一方、東日本グランドナショナルは、第1回東日本CHが開催された翌年、65年に全国レースとしてスタートした稚内グランドナショナルに端を発する。70年からは関東対象の東日本GNとなり、今年で40回目を迎える(東日本GNレース実行委員会主催)。
 東日本CHより、さらに100キロ遠い稚内からの放鳩だけに、限界に挑戦する難レースとして知られる。稚内GN第1回の65年には、1羽目の帰還は3日目、次の帰還は11日目だった。68年(第4回稚内GN)には記録範囲内の帰還がなく、優勝が存在しない年となった。初の当日帰還は、80年の第11回である。
 参加鳩数が増え、保管庫が手狭になったことや、コンディション調整の平準化などの理由から、82年にはコンテナ放鳩を実施している。それ以前は、ネコの襲撃を避けるために放鳩関係者が不寝番に立つなどの苦労もあった。東日本CHがコンテナ放鳩に移行したのは、91年のことである。

 
1984年までの東日本GN(東日本稚内GN実行
委員会主催)の歩み
回数
年 月日
放鳩
参加羽数
参加鳩舎
優勝分速(m)
総合優勝
第1回稚内GN 1965 5月23日 5:30 106   457 山崎十希男鳩舎(足立)
第2回稚内GN 1966 5月17日 5:00 42   892 須賀英忠鳩舎(江東)
第3回稚内GN 1967 5月18日 6:00 86   601 広瀬富太郎鳩舎(山ノ手)
第4回稚内GN 1968 5月17日 4:30 398     (記録範囲内の帰還なし)
第5回稚内GN 1969 5月 8日 7:35 908   686 市川守一鳩舎(北関東)
第1回東日本GN 1970 5月14日 7:10 1,632 862 1,177 岩出穂鳩舎(大東京)
第2回東日本GN 1971 5月 9日 7:10 3,578   847 日下部恵三鳩舎(三多摩)
第3回東日本GN 1972 5月 3日 6:30 5,122 1,859 814 内田建次郎鳩舎(神奈中)
第4回東日本GN 1973 5月 4日 6:35 6,978 2,185 1,172 遠山才二郎鳩舎(埼鳳)
第5回東日本GN 1974 5月 3日 7:30 6,895 2,366 952 小川栄次郎鳩舎(西武蔵)
第6回東日本GN 1975 5月 7日 6:20 7,861   964 福知美津雄鳩舎(関東中)
第7回東日本GN 1976 5月 7日 9:05 9,628 2,742 1,219 太田照男鳩舎(大東京)
第8回東日本GN 1977 5月 4日 7:40 8,744   659 柴田菊男鳩舎(静吉田)
第9回東日本GN 1978 5月 7日 7:30 7,840 2,169 988 林田福次鳩舎(東関東)
第10回東日本GN 1979 5月 6日 5:30 8,195 2,215 1,000 野本公敬鳩舎(新埼玉)
第11回東日本GN 1980 5月 7日 6:00 8,736 2,111 1,278 金沢正守鳩舎(茨城北)
第12回東日本GN 1981 5月13日 9:10 8,867 2,148 990 阿内益雄鳩舎(茨城C)
第13回東日本GN 1982 5月 8日 5:40 7,411   946 吉田明鳩舎(関東中)
第14回東日本GN 1983 5月10日 5:30 7,550   1,029 伊藤輝鳩舎(東京東)
第15回東日本GN 1984 5月15日 6:30 5,385 1,250 886 田中博鳩舎(東京東)

 

 1985 ― 地震と雷雲


 東日本GN、東日本CHとも5月11日の同日放鳩となった。GNが6時、CHが7時10分である。
 前日、日中は近畿、夜には関東まで雨が降ったが、北海道はよく晴れて暖かだった。 当日になると上の天気図にあるように、北海道は晴。関東は曇だが、低気圧は西から移動してきており、翌日は晴に向う好天。ただし、当日東、北日本の各所で雷に見舞われるなど不安定な面もあった。前日アラスカでマグニチュード6の、当日には小名浜で震度3の地震が発生している。
 GNは7,478羽が参加、優勝分速は、1,067メートル。CHは2,3911羽が参加、優勝分速は1,189メートル。

 
 1986 ― 追い風と快晴


 前年に引き続き同日の放鳩。GNは5時、CHは5時15分と、放鳩時間もほぼ同時となった。当日は北日本はやや冷涼ながら移動性高気圧に覆われて全国的に好天。快晴、追い風、低めの気温と三拍子揃って、GNでは記録率が約3割に達した。また、CHも当日78羽が当日帰還している。
 これは気象条件的には、北海道・東北の西側海上にある高気圧の功績である。
 GNの優勝分速は1,214メートル。CHは1,276メートルと、いずれも前年を上回る結果だった。

 

 1987 ― 高温との闘い

  CHが9日、GNは10日と、放鳩日が分かれた。9日は高気圧が日本を覆い、晴天。一方、11日は西日本から雨雲が増え、下り坂の天候。
 CHは予定通りの放鳩。ただし北海道・東北の西側の高気圧は理想的だが、晴天が高温をもたらすことが予想された。そこで放鳩時間を5時と早めに組んだ。また、視界も良くなかった。
 一方100キロ北の稚内では7日から10日まで10メートル以上の風が吹き、GNの放鳩は予定の9日から11日に。放鳩時間はやはり5時だった。
 優勝分速はGNが847メートル、CHが1,070メートル。高温の影響か前年を上回ることはできなかった。ことにGNは、高温のほか地震や山火事などの災害に見舞われている。
 これからの数年間が、東日本GN、そして東日本CHの歴史において、ひとつのピークを形成することになる。

 

 1988 ― 千羽、万羽

 
  この年は1日日延べして5月8日同日のレースとなった。放鳩時間はGNが5時、CHが5時15分と、これに続いた。
 発達中の低気圧が海上に去り、代わって西からせりだしてきた高気圧とともに冬型の気圧配置。冷たい北風が吹く空模様だが、レースにはこの低温は絶好だ。
 この気象が、ケタはずれの結果をもたらした。GNは、史上3度目の当日帰還鳩を輩出。その数、実に1,000羽。優勝分速は1,599メートルと、それまでの記録を更新した。この記録は現在にいたるまで破られていない。参加数が25,790羽と、7,573羽のGNの三倍を超すCHでは、なんと当日帰還は1万羽に達した。優勝分速は1,697メートルを記録。これもまた現在にいたるまで破られていない。

 

 1989 ― 晴れ間を縫って


 5月16日、GN、CH同日の放鳩だったが、台風並みの天候で、すでに2日延期していた。GNは4時30分、CHは5時ジャスト。天気図では本州東海上の移動性高気圧が南の海上から移動して北東方面に去る途中。西には低気圧がせりだしており、やはり移動中。西側に高気圧がくる理想的な天候となるには、待ってもさらに数日はかかったと思われる。CHの泉放鳩委員長は、当時次のように語っている。
「かなり強い南西の風が残っていましたが、17日以降天候が崩れることが予想されたので放鳩に踏み切りました」
 優勝分速はGNが826メートル、CHが891メートル。当日帰還は、いずれもなかった。

 
 1990 ― 低温・好天

 前年と同じ5月16日の同日放鳩だが、CHは時間も同じ5時、GNは前年と10分違いの4時40分。ただし、前年より2日長い4日間の日延べを経ての放鳩だった。
 寒気と放射冷却で全国的に気温が下がり、CHの放鳩地羽幌では、前日比マイナス六度のマイナス0.2度。本州中部から東京では、数日来雷が鳴っていた。羽幌にも厚い雲が残っていた。
 結果は、低温・好天が幸いし、GNは当日160羽が帰還。CHは当日500羽が帰還し、この中には当日は難しいと考えられていた神奈川や、別コースの長野も含まれていた。優勝分速も、GNは1,375メートル、CHも1,466メートルの高分速だった。いずれも88年に次ぐ史上2番目の好タイムである(CHは当時)。
 
 1991 ― 逆風の中を

 GNが予定日の5月11日、CHが日延べして14日と放鳩日が分かれた。
 10日の段階で風は向かい風の南西。東京と現地との連絡の結果、現地稚内が好天のGNは予定日の4時50分に放鳩した。一方、CHは放鳩地羽幌にモヤが発生して視界が悪く日延べと決めた。その後CHは13日にも放鳩態勢に入ったが、結局14日5時に放鳩。14日の視界はよかったが、南西の風は続いていた。
 優勝分速はGNが1,015メートル、CHが1,114メートル。GNは当日帰還ゼロ、CHは夜間鳩1羽の結果に。
 道内に吹く南西の風は、東北からは西風となっっていた。GNの板垣放鳩委員長は、当時の取材に次のように答えている。
「北海道では毎年あたりまえの風向きなんです。それでも稚内としては条件は良かったですよね。方向判定も良かった。ただコース上曇っていたところがあったと聞きます。そのため少々きつい展開となったようです」

 

 1992 ― 最高の天候

 5月11日、同日放鳩。時間はGNが4時40分、CHが5時。数日天気が崩れたものの、この日は好天。西には高気圧があり、向きもよかった。
 西高東低の冬型の気圧配置が崩れてから現れる春の移動性高気圧の位置、そしてそれがもたらす風の向きは、稚内・羽幌から津軽海峡を越えて関東方面に向かう鳩にとって重要な問題だ。
 最高分速はGNが1,239メートル、CHが1,440メートル。当日帰還は、GNは9羽、CHは988羽。
 数的には、ずいぶん開きがあるようだが、これについて、稚内で吹いていた約10メートルの南風が原因のひとつとして考えられている。東日本GNの荒井巌実行委員長も「結果的にはこの風が東日本CHとの差につながった」と、当時の取材に答えている 。
 
 1993 ― 羽幌の霧

  5月11日、GNは5時40分、CHは7時50分と時間には2時間強のずれがあったものの、この年も前年に引き続き同日の放鳩となった。
 本州を通過し東日本全域に雨をもたらした低気圧は11日には太平洋上に去り、放鳩地稚内は曇がちながら晴、そして無風。一方羽幌は、少々異なった状況に置かれていた。
 前年の稚内の風、そしてこの年の羽幌の霧。これは、両レースが、放鳩にあたって毎年クリアしなければならない課題でもあった。
 その他の気象条件も、決して理想的とは言えない状態だったようだ。
 GNは7羽が当日帰還。CHは当日ゼロ。優勝分速は、GN1,303メートル、CH1,320メートル。
 
 1994 ― 横風と五月晴

 この年も2日日延べの末、同日放鳩。当日5月9日は移動性高気圧に覆われ、全国的に五月晴となった。放鳩時間はGNが5時、CHが6時20分。
 津軽海峡には強い横風が吹き、また気温は22度に上昇した。優勝分速はGNが985メートル、CHは1,077メートル。いずれも前年を下回り、どちらも当日の帰還はゼロだった。
 
 放鳩委員長にきく

★元・東日本GN板垣義男放鳩委員長
 
 65年から10年くらいは、あまり記録率はよくなかったですね。コンテナを使うようになってからは帰りはよくなりました。
 気象を読むのは難しく、予定日に放鳩できるのは3〜4年に1回くらいです。
 大成功した88年のときは、鳩が上空を通過するのを三沢で持寄り中の知人が目撃したそうです。GN・CH合わせた鳩の大群は実に壮観だったそうです。
 

★東日本CH泉正彦放鳩委員長

 東日本CHは静岡までが対象ですから、現地から関東、そして静岡までの天候を考慮に入れて放鳩しています。
 気象の読みは、いつもうまくいくとは限らず、放鳩を終えて飛行機で帰る途中、機内から雲に覆われた下界を見降ろして、悔しい思いをしたこともあります。
 日時は、現地と東京との間で連絡を取り合って決めますが、意見が一致するとは限りません。前日の夜に双方の考えが異なる年には、おおむね帰りが悪いようです。
 


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